演劇の演者は役に憑依するのか

2017年9月22日

先日、友人に誘われ、200名ぐらいの劇場の演劇を観にいってきたのですが、久しぶりの演劇が、とても良かったのです。

それについて、何が良かったのか書いてみようと思います。


何が楽しかったのか?

何が楽しかったというと、一言で表すと、シンプルな舞台での展開と演者の絡み合いなのでしょう。

2時間30分というの個人的には観客としても腰が痛くなりそうで、疲れてしまうのではと思った長時間の中、ステージに置かれているのは、観客と同じく椅子が3つだけ。

その状態を保ったまま、場面が何度も切り替わり、その中でストーリーが組み立てられていくのですが、ステージ上の背景や照明は何も変わらず、本当に音も必要最低限の演出しかないのです。

本当に、「ど」が付くほどのシンプルな演出しかしないため、淡々と場面が進んでいき、起伏もなくストーリーが流れ、感情が揺さぶられにくいのかなと思っていたのですよ、最初は。

ところが、客席を使った演者の登場シーンや演者にはじまり、観客席側で身を潜めて隠れるシーンなど、心配していた単調さはまったくなく、背景や照明や転換などの演出を省けば省くほど、演者の表現や文脈だけで話が繋がっていき、夢中になっている自分がいました。

 

演劇に引き込む要素は何か?

なぜ、そう思ったかというと、観客はより演出として集中するものが少なくなればなるほど、演者に集中し、演者の生身に人間達のぶつかり合いや混ざり合いがみれた気がするんです。

ステージ上には、まさに人の身体での表現力であり、コミュニケーションしかないのです。

背景が切り替わらず、どの場面でも同じということは、背景の情報は省いても伝わるものが演劇なのかなと、素人の目線で思いました。

では、背景という情報を省いてみるとどうなるのか?

背景を省くと、人と役と衣装とストーリーとセリフと場面の切り替えしか、要素は残らないですよね。そして、役と衣装とストーリーとセリフと場面切り替えは予め決められた内容であり、これらも省いてみると、人ですね。人しか残りませんね。

なので、この同じ演出で同じ脚本や役を違う演者が演じたら、また違って見え、違う感じるようになるんだろうなと思ったので、これを試さなかったのを少し後悔しています。(今回の公演はWキャストであり、違う演者が演じる回もあった。)

なので、演劇の演出やストーリーというよりも、その演者に引き込まれてしまったのかもしれないなと、帰り道に思いました。

 

演者の良かったところとは何なのか?

個人的に演者の良かったところをいくつか挙げてみると

  • 声がとても個性的である。
  • 声がよく通る。
  • 声に落ち着きもあり、冷静なんだけど、重さもある。
  • ふるまいも含めた起伏が分かりやすい。

貫禄というか、表現の幅というか、声と立ちふるまいでその演者から発せられる情報量が多いことを感じました。

声に着目してみると、声にも色々と表情があり、

  • 声のトーン
  • 話すスピードの早さ
  • 話す言葉のわかり易さ(明瞭さ)
  • 声の大きさ
  • 抑揚に表情があるなど、表現の引き出しが多い

などですかね。

その上で、声だけでなく、顔の表情や動作や立ちふるまいが重なり、これらの組み合わせにより、まさに体全体を使って表現をして、伝えてくるのでしょう。

過去、私が感じていたこととして、演劇は、観客の視点から観ると、演者の立ち振る舞いが大げさに見えたりするなと思っていた時もあったのですが、表現することの大切さや伝わりやすさを最大限に活かすために、生身の人間の表現をより伝わりやすくした結果なのかなと思いました。

そして、演じることで役に憑依する状態になるのかなと。

人の表現、表情、言葉、声、立ち振る舞い、行動などの全体で、役の心の気持ちを表しているのでしょうか。

 

演者は憑依するために参与するのか?

さて、演者は演技力を高めると憑依できるのか?表現力を高めると憑依できるのか?または憑依できたら表現力が高まるのでしょうか。

まったく専門家でもないのでよく分かりませんが、、、

よく映画やドラマの役者で、その役になりきるために、役の職業や環境に撮影前に身を置き、心身ともに体験した上で、撮影へ望む人もいると聞きます。

台本や資料などで入ってくる情報だけで役柄を作るより、よりリアリティを求めてその文化を感じることができる生の情報がある場所から、自分自身で感じて、消化した上で、役作りにフィードバックをしていくのでしょう。

それは、生活も含めて、役と似た環境に適応しつつ、本当にその役での振る舞いができるのかを、自身の体も使って、身体へ学習させる期間なのかもしれません。

この流れには台本などには書かれていない、主観も含めた気づきがあるはずで、その気付きにより、身体に染み込んだ表現力が付くのかもしれません。

また、役になりきるのは、演者だけでなく、その演者の周りの環境である共演者やストーリーなど影響するはずです。

役になりきり、演者と他者との関係を汲み取る力が付き、より感じることができた状態で、結果、さらに役に入り込みやすくなり、演技を繰り返し、練習することで、演者はさらに学習しつづけて、高めていけるのでしょうか。

 

さいごに

サービスやプロダクト作りにおいても、ユーザになりきるってことがあたり前ですが大切ですね。

そういった視点の気持まで汲み取り、推進している会社やサービスは強いところが多いなと、演劇を観て、改めて感じた日でした。

そして、ここで書いたことを演者へ質問してみようと思ってます。

果たしてそんなことOKしてもらえるのかな?


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