デザインの解剖展でなぜか記憶が読み起こされて、就職のきっかけについて、ふりかえってみました。
目次
デザインの解剖展で読み出された就活の記憶
先日、デザインの解剖展へ行ってきました。そこで牛乳かアイスクリームかヨーグルトなどの生産工場の機器が並んでいたのですね。
「おお、美しい!この少し曇った輝きはオーステナイト系のステンレスの機器だ!」
「こういった金属の材料系の設備を作ったりする仕事を選択していた可能性もあったんだよね。」
と、ふと思い出しました。
大学での専門は機械工学であり、ステンレス鋼の研究をしていました。
研究室では、毎日、毎晩、ずっとステンレス鋼を削ってました。
なので、オーステナイト系のステンレスは腐食に強く、食品工場などでも使われているといった当時の記憶を思い出しました。(SUS304, SUS316とか)
でも、いまは全く違う業界にいますね、私。
どのように今の業界に足を踏み入れたか、振り返ってみました。
大学生はインターンは今頃から就職活動がはじまっている
ふりかえる理由は、今、職場のインターン生が就職活動をしています。
みんなそうだと思うのですが、はじめての就職活動って大変ですよね。
だって、
- はじめての就活であり、やり方も分からない。
- なので、就職セミナーや就職サイトなどで業界の人が教えてくれるやり方を知る。
- エントリーシート、SPI、面接などの対策を色々とやる。
- OB、OG訪問もする?
- 書類が通れば、筆記試験、グループ面接、ディスカッション、何次面接など複数行う。
- 合否結果をメールで受け取り、一喜一憂する。
- 複数社からの「お祈りメール」を経て、無事に内定をもらう🎉
そして、このように色々な会社を受ける前に、どういった業界へ行くのか、職種へ行くのかなど、「なぜそこを選んだのか?」といった問いについて、自己分析などしますよね。
これってすぐに決められる人はとても良いので、どんどんスタートして、受けていけば良いかなと。
しかし、自己分析って非常に難しいと思うんですよね。
もちろん、自己分析がうまくできて、すぐに業界を決められる人はとても素晴らしいので、就活をすぐスタートさせて、面接を受けていけばよいと思いますが、多くの人は、「なんとなく」決めた理由や興味でとりあえずエントリーシートを出しておくことも多いはず。
私もその1人で、結果的に大学の専門とは違う分野へ進みました。
その流れを一つの例としてまとめておきます。
そして、今の大学生に「あ、こんな適当でいいんだ!」と思ってもらい、色々な可能性があり、未来は切り開けることを知るきっかけになればと思います。
適している職業が見つからなかった私
就職氷河期真っ只中に放り出されることが決まっている学生
私の就職活動って、もう10年以上前の話になり、「就職氷河期」でも結構大変だった、有効求人倍率がもっとも低下した谷の付近でした。
Wikipediaによると
大卒者の雇用環境もこの時期に厳しく悪化した。リクルートワークスの調査によれば、1991年をピークに求人倍率は低下傾向で推移し、2000年にはついに1倍を下回った。多少の変動はあるものの、2002年を谷とする景気の回復に伴い求人数が増加するまで、長期間にわたって雇用環境は厳しい状況となった。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%B1%E8%81%B7%E6%B0%B7%E6%B2%B3%E6%9C%9F#.E6.96.B0.E5.8D.92.E6.8E.A1.E7.94.A8
最近でいうと、リーマン・ショックの年に近いイメージでしょうか。10人中2–3人は就職ができない時代だったと思います。
この状況はもう運でしかなく、受け入れるしかない状態であり、こういった世の中にしてしまった大人達を恨んだりしてました。
大学などでは、もう氷河期真っ只中ということがわかっているためか、
「いかに準備をして、誰よりも先に就職を決めるか。」
といった就職活動セミナーが多くありました。
不安を煽り、競争して勝利を勝ちとろうといったセミナーが多いらしく、私は1つぐらい行って、不安を煽る雰囲気に飽きてしまい、結局、ほとんど行かなかったです。
また、1つ学年が上の先輩でも就職できずに、大学へ残ったり、フリーターを選らんだ話もよく聞いたのを覚えています。
国内の景気が上向くことを想定し、大学院へ進学するといった選択肢もありました。
これも2年後に景気が上向いているかはまったくわからないのですが、状況が好転するまで待つといった選択肢ですね。
私はどうすべきか意見を聞いてみたら、適職はなかった
大学3年生の冬に、「リクルートスーツをもう買ったよ〜!早めに買ったほうが良いよ。」と、同級生に言われ、渋々動き始めたほど、「就職活動」を直視できていない自分がいました。
理由は単純で、何を仕事にすべきなのか、したいのかといった部分が明確は無かったのです。
ただ、就職をしなければ、生活費を稼ぐことができず、生きることができないため、就職はしなければなりません。
どのような職種に向いているのか、色々な意見を得るべく、R-CAPという、リクルートがやっている適職発見プログラムを受けてみたのです。
http://r-cap.riasec.co.jp/
「やりたい仕事がわからない」、「総合的にエントリーシート・面接対策をしたい」といった方にオススメだったので、「これだ!」と、希望を込めて受けてみました。
数週間後の結果を受け取り、未来の適職がここに書いてあるといった期待を込めて、開封してみると、
もっとも適正な職業が「カメラマン」と記載されていました…。
「え、カメラマンになるために、どの会社へいけばよいの?」
もう、絶望しました。
だって、カメラマンって就職というより、弟子入りしてからの修行です。
就職といった形とは程遠く、写真を撮影したアウトプットからはじまり、それが他者に認められてやっと名乗れる職業であり、クリエイター向きだと思っていたからです。
この結果を大学の進路センターへ相談しても、「カメラマンですと、、、あんまりないですね。」と、担当を困らせてしまったこともありました。
就職するための適職を探すために、このプログラムを受けたのですが、結果的に自分の適性を疑うことになりました。
みんなの真似をしてエントリーをしよう
適職検査の結果を踏まえると、私は「普通の就職活動向きではないかもしれない」ということが分かったので、そんな向いてない人なりに、まずは周りの真似をして活動をしてみました。
適している職であるかどうか、本当にやりたい仕事であるかどうかは分かりませんが、少しでも関連がありそうな会社へはなるべく応募をしました。
また、私の出身である地元であれば、製造メーカーも多いため、地元の会社への訪問や入社試験で何度も足を運びました。実家へ帰りたくはないが、就職できないことは避けたく、必死に探して、応募をしていました。
私は機械工学科であったため、数々の機械に関わる会社へエントリーをしました。
- 機械やプレスメーカー
- 工場の生産設備を作る会社
- 自動車会社や自動車部品メーカー
- プラントメーカー
- 検査器具製造
- レコード会社
- IT関連
- など、30社ぐらい
それと同時に、景気の状況を未来に委ね、大学院への進学も検討しました。ただ、大学院へ進学した場合、その専門で就職する可能性も高く、選択できる領域が狭まってしまうことも気になっていました。
当時、4年生の春ぐらいから内定をもらう人が出始め、夏の終わりには、就職活動は一段落しているスケジュール感です。
夏が終わる頃には、「まだ決まってないの?」と心配されることも多かったのを覚えています。
結局、秋にぐらいまで就職活動をしてたのですが、自動車部品メーカーとIT関連の会社から内定をもらい、IT会社へ行くとに決めました。
SPI試験に落ちたけど、IT会社を選んだ理由
応募した理由
選んだ会社は、「株式会社ラック」という会社でした。いまはセキュリティで有名なっていますが、当時は200名弱の会社であり、セキュリティ事業も立ち上がったばかりでした。
私のITスキルといえば、中学生にPC98でBasicで本を読みながらプログラミングして遊んだり、大学の授業でMacでFortranとNextStepでLaTexの授業や少しだけHTMLを書きはじめていたぐらいで、ITに関しては、未知の領域でした。
あと、ITではないですけど、大学の研究でNC旋盤のプログラムも少しやっていましたね。プログラムを間違えると「ドーン!!」って事故るやつ。
なぜ、この会社をうけたのかというと、下記の2点が繋がると勝手に思い込んでいたからです。
- この会社がカメラを2つ繋げて360度の映像を作ることができる海外技術のビジネス化をしていた。(いまはやっていない。)
- 私が大学時代に映画を作ったりして、音楽や映像に興味を持っていて、上記に合いそうと考えた。
入社説明会とSPI試験
第2新卒向けのためか、新卒向け説明会を通年通してやっている会社であり、私のような未だに就職がきまっていない人にはタイミングが良かったこともありました。
秋に入社説明をしてもらい、そのまま1次選考であるSPI試験を受けました。
後日、メールで1次選考の結果の連絡が来たのですが、その内容が
「興味があったら連絡をください。」
と書いてあるだけでした。
「ん??(笑)」と、笑ってしまいました。
お祈りメールでもなく、興味があったらメールは、はじめてもらったメールですね。
落ちた理由を教えてくれるのだと思い、早速、会社へ電話をかけてみました。
こんな電話は不安でしか無いのですよね。でも、不安であったのですが、楽しみもあったりと不思議な気持ちでした。
電話では、「では、次の面接の日程を決めたいので調整させて下さい。」とのことで、再び、会社があるお台場へ行く日時を決めました。(当時、お台場に会社があって、通うのが大変でもあった。)
呼んでくれた理由とは
面接の日、当時の人事担当の方が、そのメールと呼んでくれた理由を話してくれました。
- キミはSPIの試験である科目の点数が足りずに、落ちていた。
- でも、履歴書が面白かったのであのメールを送った。
つまり、私は試験に落ちていたけど、面白うそうだから連絡してみたとのことでした。
履歴書に面白いことを書いているつもりはなかったのですが、音楽や映画製作に関連することをひたすら手書きで書き上げて提出していました。(当時、履歴書はまだ手書き文化でした。)
その話題から始まり、面接というより、リラックスした会話が終わるころに一言言われたのが、
「話してみて思ったのですが、たぶん、真面目な人だと思ったので、良かったです。」
と言われ、そのまま社長面接、そして内定となりました。
すでに、この会社の内定式が終わっている10月の終わりのお話です。
そこでのキャリア形成で次に繋がり、今の仕事となっている
無事に新卒入社となり、私はECサイトの開発でプログラムを本格的に覚え、オンプレのインフラからバックエンド、フロントエンドまでや、サービスのコールセンターを含めて運用に全てに関わることができました。
当初、プログラムの書き方がわからない状態で不安しかなかったです。
はじめてデータセンターへサーバのラッキングをしに行ったら、前夜に9.11テロ事件があった日で、なんかはじめてのことだらけな1日で緊張と興奮していたのを覚えています。
ずっとコードを書きつつ、幅広くやらしてもらったり、言いたい放題言わせてもらったのは上司のおかげでもあります。
同期は、東京大学大学院卒やどこかの大学の元助教授だったりと、とても頭がキレる人も多く、私がもっともアホであったことは確かでありましたが、多くのことを勉強させてもらいつつ、事業にも貢献できました。
その後、フリーランスとして生きることができたり、今年もラックへは、仕事の相談をしたりと、いまでも繋がっている関係を保てて、とても嬉しいです。
このキャリアが想定できたのか?
デザインの解剖展でステンレス機器を眺めて、この業界へ踏み込んだ流れをまとめてみました。
私のはじめての就職活動って、こんな感じで会社が決まったのですね、私。
- 就職をしなければいけない
- カメラマンになるのか?
- みんなの就活を真似てみる。
- 思い込みで会社を選んでいた。
- たまたま担当者が呼んでくれた。
- 試験落ちていたけど、受かった。
- 興味を持っていた分野以外の業務で不安しかなったけど、楽しかった。
プログラムを書く楽しさや夜中にデータセンターに泊まったり、働きすぎてタクシーで強制的に自宅に返されることなど、今は良い思い出となってますね。
大学時代の自分から、今の自分を眺めることができたら、きっと
「私が、まったく分からない領域で仕事をして、生きているんだな。」
と感じてるでしょう。
なので、大学時代での就活や卒業時に、今の状態を想定できたのかというと、まったく想定はしてなかったでしょう。というか、想定ができなかったでしょう。
で、それが良いのか悪いのかといった選択肢のみで判断するのであれば、「とても良かった」ですね。
計画性偶発理論や書籍:イノベーション・オブ・ライフ の話しではないですが、目の前の仕事を一生懸命やるだけでも、立派なことであり、その日々の積み重ねで、次のキャリアが開けることが多いのです。
なので、これから最初の会社を決める大学生も、なかなか決まらない不安定な時を楽しみつつ、好奇心を持って決めて、頑張ると何かが見つかるかもしれません。
蛇足ですが
今の仕事のチームで、大学生が下記の質問をすると、
大学生:「就活ってどうしたらいいですか?」
一部のメンバー:「就活も良いけど、起業しようよ!」
といった流れにもなるのも面白いですね。(何がおもしろいかは今度書こうかな。)
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